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第10話  もう一度、ちゃんと話す

مؤلف: 菊池まりな
last update تاريخ النشر: 2026-09-22 19:00:11

スマートフォンの画面に、一件の通知が表示された。

『話したいことがあります』

蓮は、その文字をしばらく見つめていた。

美咲からだった。

胸の奥が、静かに痛む。

連絡をしないようにしていた。

彼女から離れることで、危険から遠ざけられると思っていた。

それなのに、美咲のほうから連絡が来た。

しかも。

「話したいことがあります」

その言葉が、頭から離れない。

蓮は一度、画面を閉じた。

返事をしなければならない。

そう思う一方で、何を返せばいいのかわからなかった。

今までのように、曖昧な言葉で逃げることはできない。

けれど、本当のことを話せば、美咲を危険にさらすかもしれない。

迷った末、蓮は短く入力した。

『わかりました。会いましょう』

送信する。

すぐに既読がついた。

そして、少しして返事が来る。

『ありがとうございます』

それだけだった。

蓮はスマートフォンを置いた。

「……ありがとう、か」

その言葉が、妙に胸に刺さった。

二人が会うことになったのは、以前一緒に行った小さな喫茶店だった。

夕方。

窓の外を歩く人たちを眺めながら、美咲は一人で待っていた。

何を話すのか。

何を聞くのか。

家を出る前から、何度も考えていた。

でも、いざ本人を前にすると、きっと言葉が出なくなる。

そんな気がしていた。

ドアが開いた。

顔を上げる。

蓮が入ってきた。

目が合う。

ほんの数日しか離れていないのに、ずいぶん久しぶりに会ったように感じた。

蓮は少しだけ笑った。

「……待たせました」

「ううん。私も今来たところ」

いつもの会話。

いつもの言葉。

それなのに、以前とは何かが違っていた。

蓮が向かいの席に座る。

二人の間に、短い沈黙が落ちた。

「……元気でしたか?」

蓮が聞く。

「それ、こっちの台詞です」

美咲は少しだけ笑った。

蓮も笑う。

けれど、その笑顔はどこか寂しかった。

「ごめんなさい」

突然、蓮が言った。

「何が?」

「連絡しなくなったことです」

美咲は答えなかった。

責めたい気持ちはあった。

寂しかった。

不安だった。

それでも、今はそれをぶつけるために来たわけではない。

「……どうして離れようとしたんですか?」

静かに聞く。

蓮は視線を落とした。

「あなたを巻き込みたくなかったからです」

「何に?」

「……僕の過去に」

やはり、そこだった。

美咲は小さく息を吸った。

「蓮さん」

「はい」

「あなたの過去を調べました」

蓮の表情が止まった。

「……どこまで?」

「五年前の事件」

その言葉を聞いた瞬間。

蓮は目を閉じた。

「……そうですか」

驚いた様子ではなかった。

むしろ、いつかそうなることを覚悟していたようだった。

美咲は続ける。

「黒崎誠一さんの事件」

蓮は何も言わない。

「そして、桐谷蓮という名前」

しばらくして。

「……はい」

蓮が答えた。

「それが、僕です」

美咲の胸が大きく鳴った。

やっぱり。

記事の写真も。

名前も。

すべて間違いではなかった。

「どうして、名前を変えたんですか?」

「事件のあと、事情があって」

「事情って?」

蓮は答えようとして、口を閉じた。

美咲はその様子を見ていた。

以前なら、ここで「話したくないならいいです」と言っていたかもしれない。

でも今日は違う。

「……話したくないですか?」

「話したくないというより」

蓮は苦しそうに言った。

「話せば、あなたが知りたくなかったことまで知ることになる」

「それでも聞きたいです」

即答だった。

蓮が顔を上げる。

美咲は自分でも驚いていた。

こんなにはっきりと言えるとは思っていなかった。

「怖くないわけじゃありません」

正直に話す。

「むしろ、怖いです」

蓮の目が揺れる。

「でも、何も知らないまま離れるほうが、私は嫌です」

「美咲さん……」

「あなたが私を傷つけたくないと思っていることは、わかっています」

美咲は一度、言葉を選んだ。

「でも、私のことを思っているなら、私が何も知らないままでいることを勝手に決めないでください」

蓮は黙っていた。

その言葉が胸に刺さったのかもしれない。

やがて、ゆっくりと息を吐く。

「……あなたは、強いですね」

「強くなんかないです」

美咲は苦笑した。

「怖いから、ちゃんと知りたいだけです」

蓮はしばらく美咲を見つめていた。

そして、静かに口を開く。

「僕は、黒崎さんを殺していません」

美咲の心臓が跳ねる。

けれど、その言葉のあと。

蓮は続けた。

「でも」

その一言で、空気が変わった。

「僕は、あの日、あの場所にいました」

美咲は黙って聞いていた。

「そして……事件のあと、僕は間違ったことをしました」

それ以上は言わなかった。

美咲も、今は聞かなかった。

それだけで、十分だった。

蓮が何かを隠している。

それは確かだ。

けれど。

彼は初めて、自分から少しだけ過去を開こうとしている。

「今日は、ここまでにしませんか」

蓮が言う。

「……はい」

美咲は頷いた。

店を出る。

外は薄暗くなっていた。

雨は降っていない。

二人は駅まで並んで歩いた。

以前なら、自然に会話が続いていた。

今日は違う。

けれど、その沈黙は嫌ではなかった。

駅の前で、蓮が立ち止まる。

「美咲さん」

「はい?」

「……もう一度、ちゃんと話します」

美咲は蓮を見る。

「五年前のことも。僕が何をしたのかも」

その声は震えていなかった。

「ただ、少し時間をください」

美咲は小さく頷いた。

「待ちます」

「……ありがとうございます」

「でも」

美咲は蓮の目を見る。

「今度は、勝手にいなくならないでください」

蓮は少し驚いた顔をした。

それから、ほんの少し笑った。

「……わかりました」

二人はそこで別れた。

美咲は駅へ向かう。

蓮も反対方向へ歩き出す。

以前とは違う。

まだ何も解決していない。

五年前の事件も。

蓮が隠していることも。

そして、自分に届いたあのメッセージのことも。

それでも。

美咲は思った。

少しだけ、前に進めた気がする。

蓮もまた、歩きながらスマートフォンを取り出した。

高瀬から新しいメッセージが届いている。

『車の所有者がわかった』

蓮の足が止まった。

続く文章を読む。

『五年前の事件に関係する人物だ』

蓮は画面を見つめた。

そして。

美咲が歩いていった方向を振り返った。

「……まだ、間に合う」

小さく呟く。

今度こそ。

逃げるのではなく、自分の口で真実を話さなければならない。

そう思った。

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  • 愛した人は、犯罪者だった   第10話  もう一度、ちゃんと話す

    スマートフォンの画面に、一件の通知が表示された。『話したいことがあります』蓮は、その文字をしばらく見つめていた。美咲からだった。胸の奥が、静かに痛む。連絡をしないようにしていた。彼女から離れることで、危険から遠ざけられると思っていた。それなのに、美咲のほうから連絡が来た。しかも。「話したいことがあります」その言葉が、頭から離れない。蓮は一度、画面を閉じた。返事をしなければならない。そう思う一方で、何を返せばいいのかわからなかった。今までのように、曖昧な言葉で逃げることはできない。けれど、本当のことを話せば、美咲を危険にさらすかもしれない。迷った末、蓮は短く入力した。『わかりました。会いましょう』送信する。すぐに既読がついた。そして、少しして返事が来る。『ありがとうございます』それだけだった。蓮はスマートフォンを置いた。「……ありがとう、か」その言葉が、妙に胸に刺さった。二人が会うことになったのは、以前一緒に行った小さな喫茶店だった。夕方。

  • 愛した人は、犯罪者だった   第9話  知りたいと思った理由

    美咲は、自宅に帰ってからもスマートフォンを手放せなかった。画面には、あのメッセージが残っている。『蓮のことを忘れてください』短い文章だった。それなのに、何度読んでも胸の奥が落ち着かない。誰が送ってきたのか。どうして自分のことを知っているのか。そして何より。どうして、蓮のことを忘れろと言うのか。美咲はソファに座ったまま、蓮とのメッセージ画面を開いた。最後に会った日のことを思い出す。「僕と一緒にいると、あなたが傷つくかもしれない」あのときの蓮は、いつもの穏やかな表情ではなかった。何かを恐れていた。美咲には、そう見えた。「……やっぱり、何かあるんだ」今までは、蓮が話したくないなら無理に聞かなくてもいいと思っていた。過去には誰にだって触れられたくない部分がある。自分にもある。だから、待つつもりだった。いつか蓮が話してくれるまで。けれど。もう「待っているだけ」ではいられなかった。知らないところで、自分にまで警告が届いた。それはもう、蓮一人の問題ではない。美咲はスマートフォンを置いた。そして、ノートパソコンを開いた。

  • 愛した人は、犯罪者だった   第8話  関係ないなんて言わないで

    翌朝。美咲は目覚ましが鳴る少し前に目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む光をぼんやり眺めながら、昨夜のことを思い出す。駅で声をかけてきた男性。水城さん、と呼ばれた気がした。けれど、本人は人違いだと言っていた。「……気にしすぎかな」そう呟いて、ベッドから起き上がる。スマートフォンを確認しても、蓮からの連絡はなかった。当然だ。会わないほうがいいと言われたのだから。それでも、画面を開くたびに期待してしまう自分がいた。美咲は小さく息を吐いた。「私、こんなに寂しがりだったっけ」自分で言って、少しだけ笑う。蓮と出会う前は、一人の時間をなんとも思わなかった。仕事をして、本を読んで、休日には好きな店へ行く。それで十分だった。けれど、誰かと一緒に過ごす時間を知ってしまうと、以前と同じには戻れない。それが少し怖かった。会社に着くと、いつものように仕事が始まった。原稿を確認し、編集部内で打ち合わせをする。忙しくしている間は、蓮のことを考えずに済んだ。そう思っていた。けれど、昼休みになった途端、スマートフォンに目が向いてしまう。何も届いていない。

  • 愛した人は、犯罪者だった   第7話  知らないままではいられない

    「五年前、お前は何を見た?」 電話の向こうから聞こえた高瀬の声が、蓮の耳に残っていた。 「なぜ、証拠を隠した?」 答えられないまま、蓮はスマートフォンを握りしめた。 五年前。 その言葉を聞くだけで、胸の奥にしまい込んでいた記憶が引きずり出される。 あの日の雨。 濡れた道路。 黒崎誠一の会社の裏口。 そして、開いたままになっていたドア。 蓮は目を閉じた。 忘れたことなど、一度もなかった。 ただ、忘れたふりをしていただけだ。 「……今さら、何が出てきたんだ」 独り言のように呟く。 高瀬は詳しいことを電話では話さなかった。 ただ、新しい証拠が見つかったこと。 そして、それによって当時の捜査を見直す必要が出てきたこと。 最後に、高瀬はこう言った。 「近いうちに会う。今度は、全部話してもらうぞ」 通話が切れる。 蓮はしばらく画面を見つめていた。 頭に浮かんだのは、事件のことではなかった。 美咲の顔だった。

  • 愛した人は、犯罪者だった   第6話  少しだけ、離れて

    週が明けた。美咲はいつも通り出社した。けれど、いつも通りではないことが一つだけあった。蓮から連絡が来ない。昨日も、その前の日も。これまでなら、短いメッセージが一つくらい届いていた。《今日は遅くなりそうです》《ちゃんと帰れましたか?》そんな何気ない言葉だった。それがなくなっただけなのに、美咲はスマートフォンを見る回数が増えていた。「……何を期待してるんだろう」自分に呆れながら、画面を伏せる。仕事に集中しよう。そう思っても、なかなか頭が切り替わらない。昼休みになっても、通知はなかった。美咲は小さく息を吐いた。忙しいのかもしれない。そう思えばいい。それなのに、胸の奥には小さな不安が残った。その日の夜。仕事を終えて会社を出たところで、スマートフォンが震えた。画面には、蓮の名前。美咲の胸が跳ねる。《少し会えませんか》短いメッセージだった。《今からでも大丈夫です》すぐに返信する。待ち合わせ場所に指定されたのは、駅から少し離れた公園だった。

  • 愛した人は、犯罪者だった   第5話  近づくほど、遠くなる

    翌朝。美咲はいつもより少し早く目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む光をぼんやり眺めながら、昨日のことを思い出す。蓮と話した。それだけなのに、胸の奥がまだ温かかった。好きな本の話をした。休日の過ごし方を聞いた。くだらない話で笑った。たったそれだけの時間が、思っていた以上に嬉しかった。スマートフォンを手に取る。蓮から連絡が来ていないか確認してしまい、美咲は苦笑した。「……私、いつからこんなになったんだろう」まだ恋人ですらない。それなのに、少しずつ蓮の存在が日常の中に入り込んできている。嫌ではなかった。むしろ、嬉しいと思っている。だからこそ、美咲は少し怖かった。また誰かを好きになってしまうことが。その日の昼休み。美咲が会社の近くのコンビニへ向かっていると、スマートフォンが震えた。画面を見る。蓮からだった。《今日、仕事は遅くなりますか?》思わず頬が緩む。《たぶん七時くらいです》すぐに返信が来た。《もしよければ、夕食でもどうですか》美咲は数秒、画面を見つめた。

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